『銚子ジオ散歩(9)磯見川の泥炭』の中で、磯見川の泥炭の記述について、「”見事な泥炭”の”見事”とはどういう意味か?」というご質問を頂戴しました。説明が不十分な部分がありましたので、以下に補足します。
◆ 「泥炭」と「腐植」の違い
まず、「泥炭」と「腐植」の違いについて、個人的な理解を説明します。
まず、「泥炭」と「腐植」の違いについて、個人的な理解を説明します。
植物が湿地に堆積し、微生物の活動が不活発な嫌気性の環境下で、あまり分解されずに残ったものが泥炭で、植物繊維が残っています。ですから、泥炭は高緯度地方や高山で形成されやすいことになります。もちろん、条件がそろえば、温暖地でも形成されます(堆積速度>分解速度のとき)。
それに対し、腐植は、植物が微生物によって分解され、複雑な有機物に変化したもので、植物繊維は残っていません。以前、園芸用の腐葉土を数年間使わずに放置したら、葉が分解されて粉末状になっていました。これは、微生物の働きで植物繊維が分解したためと考えられます。
それに対し、腐植は、植物が微生物によって分解され、複雑な有機物に変化したもので、植物繊維は残っていません。以前、園芸用の腐葉土を数年間使わずに放置したら、葉が分解されて粉末状になっていました。これは、微生物の働きで植物繊維が分解したためと考えられます。
このように、個人的には、「泥炭」と「腐植」は植物繊維の有無で判断しています。両者の中間的なものもあります。
◆ 「見事」の意味
次に、「見事」の意味を説明します。比較のために、磯見川と大谷津の露頭の写真を示します。
次に、「見事」の意味を説明します。比較のために、磯見川と大谷津の露頭の写真を示します。
▼ 図3 大谷津の露頭
● 殆ど腐植である。少し泥炭質の部分もある。
これらの違いに加え、銚子ジオパークでは、腐植は台地のどこでも観察できますが、泥炭は磯見川だけのようです(利根川沿いには泥炭があるかも知れません)。
以上のようなことから、磯見川の泥炭は「見事」と表現した訳です。